普通を認められない

この人生で子供を持つつもりがないのだが、そうなると誰かに大きな影響を及ぼすこともなく死んでいくのだろう。そもそも子供を持ちたいなんて考えるやつは一体何を考えているのか。そんなに自分にとってのイエスマンが欲しいのかと思ってしまう。これは両親と折が合わなかったせいもあるというか、それしかないのだが。

 

なんの為に生まれてきたのだろう。いつも思考の中枢にあって、ふと時間が余ったときに支配されるテーマなのだが、所詮人間など遺伝子の乗り物にすぎないというにはまだ未練がましく目的を探している毎日だ。類まれなる秀でた才能はなく、また精力的に生きようといった情熱も見受けられない。ただ毎日を陰惨と生きては、こうしてインターネットの世界で普段自己主張できないうっぷんを晴らしている訳である。

 

あらゆる分野で突出した才能は見受けられず、ただただ傷つきやすく、そのくせプライドだけはエベレストの如く高い自分を受け入れられない。等身大の自分を受け入れられないのは、両親からの過度の甘やかしや自分の気に入らない娘であったときのヒステリックな罵声とは何か関係があるのだろうか。私は、自己愛性人格障害なのだろうか。

 

自己評価がジェットコースター並にめまぐるしく変わる。最高か最低かのどちらかである。自分が他人以上に良心に欠けていることから目を背けている気がしてならない。そして人間失格の竹一のように、私の善良な人間のふりをしていることに誰かが気づいてしまうのではないかと恐れている。一方で、はやく見抜いてほしい願望もある。何事も中途半端なときが一番恐ろしいのだ。この間は、初老の母親につかみかかり初めて叩いてしまった。誰か助けてくれ。